「コントロールする意志」について考えた
最近、ちきりんの生産性という本であったり、後はKindleで鬼速PDCAという本を買って読んでいる。 また、昔買ったレベレッジシンキングという本があったので、それらを踏まえてちょっと考察してみた。
なぜ生産性が上がらないのか
生産性をあげるということは、誰も反対しないだろう。 なのに、なぜそれに対して真剣に取り組んでいる人が少ないのか、疑問だった。 その上で、鬼速PDCAという本を読んでその問いに対して答えを出そうとしてみた。
答えは、危機感が足りず自らをコントロールする必然性がないから
鬼速PDCA,結構良い本だったので今度また別にレビューしたりメモにまとめるけど、 彼らのスタートは目的だった。
生産性を上げようという人たちは常に目的意識があるのだ。 別の言葉で言うと、自らの宣言または外部からの要請によって、 彼らは常にストレッチされているのでどうしても自らを変え無くてはならないのだ。
そのような状況下においては、何とか自分を変更しようという力が働くので、 自分の一足一挙動をすべて確認した上で、目的に沿って最適化しようとする。
危機感がないと人間は変われないのではないか。
目的がないと決してツールは役立たない
レバレッジ・シンキングにおいて、本を読んだらそれを役立てることだ、みたいなことが書いてある。 当たり前のことだ。でも、それを実際にやれている人はどれだけいるだろう?
論理的な思考だったり、PDCAであったり、GTDあったり、要するにこれらはツールである。 それも結構手間の掛かるツールだ。
これらを導入し、実際に無意識になるレベルで運用するにはどれだけ頑張り続ける必要があるのか。 手段は目的を実現するためにのみ、徹底的に必要になる。 逆に言えば、手段のために手段を導入することは、相当マニアックな特殊な人種だろう。
「コントロールする意志」をどれだけ持てるか
では、目的がない人はどうすればいいのだろう。 目的論的な世界観に生きられる人は、目的を探すのがいいかもしれない。 存在論的な世界観に生きる人は、自らの好き嫌いに応じて自らのベストな状態を定義したらいい。
重要なのはコントロールする意志をどれだけ持てるか。それがなければ、生産性の議論も、生産性をあげるツールも机上の空論でしかない。